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「生きていれば、いろんなことがある。」
私だって30ン才、そんなことはわかっているつもりだった。でも現実は、もっと、もっと、いろんなことがありうる!そう再認識せざるをえない出来事だった。 だれが考えよう?!旅客機をハイジャックして、高層ビルに突っ込むなんて!! 本当に、人々の安全に対する考え方を根底から覆すような事件だった。「アメリカ人の生活が変わる!」とまで言わせた事件は、本当に唐突に起こって、何の危機管理もできていない典型的日本人=私たち夫婦にも、少なからず影響を与えたのだった。 事件がおきたとき、我々夫婦はサンフランシスコにいた。ソノマ、ワイナリーめぐりの旅最終日、つまり、その日の便で帰国予定だったのだ。しかし事件によって飛行機はキャンセル。その後の空港閉鎖のために、結局、8日間もサンフランシスコに足留めされてしまったのだ。奇しくも、事件の日は私の30ン回目の誕生日であった。
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夫は今日も朝6時に起きた。アメリカに来て一週間以上たつのに、まだ時差がなおらないのだ。
夫はテレビがなによりも好き。起きるなり、スイッチを入れる。 私もしかたがなく起きる。今日は帰国の日。飛行機は11時半なので、ゆっくりと荷物の片付けをはじめる。 テレビを見ていた夫、「どっかででかい火事があったみたいよ?!」 「ふ〜ん。山火事じゃない?この辺、多いから…」と、変な返事をする私。 夫、しばし無言の後、興奮気味に言う。 「これって…ニューヨーク?!」 夫がテレビを見て騒ぐのは珍しくないので、私は画面を見もせずに、気のない返事。 「なにが?!」 さらに夫が騒ぐので、しかたなくテレビを見る。 …??? ちょうど、2機目の飛行機が突っ込むところだった! …事故?! これは本当のことなのか?!夫は信じられない様子でチャンネルをまわす。でも、どこのチャンネルも、同じようにワールドトレードセンターの映像ばかりだった。 本当なんだ!!でもさっぱり現実感がない。このとき、ふたりが全く同じことを考えていた。 「映画みたい!!」 ふたりで食い入るようにテレビを見つめる。レポーターが言うには、まず爆弾テロが起こって、そこに飛行機が突っ込んだらしい(テレビ局も混乱していたようで、最初はこういう報道がされていた。)。 30分くらいして、ともかく帰国の準備をしないと!ということで、夫がシャワーをあびる。 私は荷物を片付けながら、ひきつづきテレビを見る。 サンフランシスコ時間6時45分、なんとペンタゴンにも飛行機が墜落したとの報道が入る。 この段階で、頭は?????状態。いったい何が起こっているんだ?! 7時、2番目に飛行機が衝突したほうのビルが倒壊し始める。まるで雪崩のよう。あたりにはもうもうと煙が広がっている。 とんでもないことになった!と少しずつ認識する。異常な胸騒ぎで、寒気がした。 夫もシャワーを終わって、テレビの前にぼーぜんと立っている。 FAAがアメリカ上空を飛行中の旅客機すべてに、直ちに最寄の飛行場に着陸するように命令を出したと字幕テロップが入る。 どうなる?!飛行機は飛ぶのか?!帰れるのか?! 話し合って、朝ご飯も食べずに、できるだけ早く空港に行くことにして、私も速攻でシャワーを浴びる。 この間、ペンシルヴァニアにも飛行機が墜落したとの報道が入った。 荷物を持って、フロントに行って、チェックアウト。 我々が荷物を持っているのを見て、フロントのおねえさんが、「空港に行くの?!」と聞く。 「そうだ。」と答えると、「やめておいたほうがいい。空港は閉鎖はされていないけど、大混乱していて、帰ってくるのも大変な状態になるに違いないから…」とのこと。 夫は信用していない(元来、疑り深いのだ)。 おねえさんはさらに、「今日は市内で泊まったほうがいい。」と言う。 結局、2人で相談した結果、お姉さんの助言に従うことにする。今回は偶然にも、変更可能な航空券なので、予約さえ取れれば、なんの問題もないからだ。 私は胸騒ぎが収まらない。こんなことは生まれて初めてだった。 このホテルは、今日は部屋がない(満室)状態だったので、お姉さんが近くのホテルをあちこち聞いてくれて、2ブロックくらい先のホテルを予約してくれた。 滞在していたホテルは、事態が事態なので、バーの朝食がただで振舞われていた。ロビーには我々同様、唖然として、どうすることもできない人々でかなりざわついている。 誕生日ということで、レストランの朝食をただにしてくれた。と言っても、あまり食欲があるはずもなく、果物とコーヒーだけをいただいた。 それでも、おなかが膨れると、ようやく少し落ち着いて、ことの重大さを認識する。考えると、いろいろやらなくてはならないことがあることに気づく。 まずは飛行機の予約の変更。 コンシェルジュに言って、電話をかけてもらう。今回は種々の事情で、夫は全日空便、私はUA便利用。こんなときに限って、こういう事件がおきるのだ。 どっちの航空会社も電話は思ったよりもすんなりつながって、両方とも、13日(木)の便に変更ができた(このときはまだ、何日も飛行場が閉鎖状態になるなんて思いもしなかったのだ。)。 フロントのおねえさんにお礼を言って、今夜の宿に引っ越す。 この日はこのあと、水を買いに行ったり、JCBプラザに全日空のカウンターの場所を聞きに行ったりしたけれど、街の中は非常事態宣言(?)のせいで、人もあまり歩いていないし、店はほとんど閉まっていた。 午後中、ホテルの部屋で、テレビのニュースを見て過ごす。 FAAが朝7時前に、全米上空を飛行中の飛行機全機に緊急着陸を通達してから、なんと2時間ですべてが最寄の空港に着陸したのだそうだ。その後、空港自体にも危険性があるということで、人々が緊急避難し、空港は全部閉鎖されたようだ。したがって、海外からアメリカへ飛行中だった旅客機は、すべてカナダの空港にダイバートされたらしい。 状況はますます混乱してきた。夜ごはんをホテルのデリで簡単にすませてテレビを見ながら寝た。とんだ誕生日だ…
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朝6時過ぎに起きる。すぐにテレビをつける。空港はまだ全部閉鎖状態。
FAAが、相当厳しいセキュリティー・チェックを義務付けると言っている。これは時間がかかりそうな雰囲気。まずいぞ… 朝ごはんを食べたあと、状況を知るために、市内のUAのカウンターに行く。すごい人だ。 順番がくるまで、同じ状況の日本人といろいろ話をする。皆、我々と同じように途方にくれている。 順番になって、明日の運行状況を聞くと、現時点ではまだキャンセルはされていないとの答え。果たして運行されるのか?!どうなのか?!判断材料がなにもない。窓口のおにいさんも、なんの情報もないと言う。 話をした男の子が、最短でも、日曜日の便しかとれなかったといっていたので、いちかばちか、明日の予約のままで置くことにする(これが大失敗だった。)。 今日も、このあと、ホテルでテレビを見てすごす。 昼過ぎに、11日にダイバートされた飛行機は、元来の最終目的地まで飛んでもよいとFAAから許可が出た。しかし夕方になっても、サンフランシスコ空港はオープンする様子がない。まずい!明日もキャンセルか?! 夫の予約変更のために、全日空に電話をする。つながらない。日中、何度も、何度もかけたが、結局つながらなかった。 6時過ぎにかけると、ようやくつながった。録音音声がまず流れる。よかった!と思ったのもつかの間、「本日の営業時間は終了いたしました。」だと!この非常時になにをぬかすか?!あきれ果てる。全日空はサンフランシスコ市内にカウンターがないので、電話が通じないと、連絡のとりようがない。空港は再開されても、警戒が厳重で、そうそう簡単に行けそうにないし…困った… 明日、UAで相談してみようということにして、夕飯をホテルのレストランで食べて、今日もテレビを見ながら寝る。
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朝起きて、習慣のようにテレビをつける。
昨日の夕方、コンシェルジュに頼んで、UAに状況を電話で聞いてもらったら、今日のフライトはたぶんOKだと思われるが、万一に備えて、テレビで状況を確認していてくれと言われたので、かなり期待していた。が、結局、UAは夕方16時までの便がすべてキャンセルになる。 サンフランシスコ空港は一応、朝8:00にオープンした。でもまだ1機も離着陸していない。 FAAの新しいセキュリティー基準を最初に通ったのは、キャセイ、JAL、アリタリア、BAなど。UAも通ったけれど、16:00までの便はなぜかキャンセルになった。 営業時間前にUAに行く。すでに長蛇の列。待っているあいだに、公衆電話から全日空に電話をする。つながらない。 何十回かかけたとき、どうにかこうにかやっと通じた。でも担当者が、どうにもこうにも融通もきかない、反応もにぶい。にっちもさっちも行かない。 ついにキレてどなりまくってしまった。ともかく、入る限り、キャンセル待ちをいれてもらう。たぶん、リマーク間違いなし… UAで、私の予約変更をするときに、だめもとで夫の分も頼んでみる。あっさりと、いっしょの便に予約を入れてくれた。チケットにはエンドース不可と書いてあったので、どうかなあ?!と思っていたが、おにいさんは全く見ていない。あとでもめないか?! 結局取れたのは、19日の便で、なんと6日も先。とほほ… 非常時なので、JALにもエンドースできるとのことで、日航ホテルのJALカウンターに行って聞いてみるが、最短で22日とUAよりも遅いのであっさりとあきらめる。 今泊まっているホテルにさらに6泊となると、財政的にかなりきつい。でも、市内中心から離れると、UAのカウンターも遠くなるし、いろいろ情報も入らなくなるので、話し合った末、今のホテルに連泊することにする。 フロントに連泊を伝えにいったついでに、もう少し安いレートがないか聞いてみると、なんと我々のレートが、今泊まっている人のなかで最低なのだそうだ(我々のレートは、前のホテルのフロントのおねえさんが、ホテルマン同士の特別レートで予約してくれたものらしい。)。それをまだ安くしようとしたのだから、われながらあっぱれ?!である。でも、さすがに少し恥ずかしかった。 部屋に戻って、テレビを見ていると、FAAが再び、海外の航空会社の飛行機の着陸を禁止したと出る。サンフランシスコ空港はまだ、バンクーバーにダイバートされていたアリタリア機が着陸したのみだった。このアリタリア機は、ダイバートされた飛行機は飛行可能になったので、バンクーバーからサンフランシスコに向かって離陸したものの、海外の飛行機の着陸禁止が出たために、ふたたびカナダにもどろうとしていたのだそうだ。どこも混乱している。 UAも16:00以降のフライトはOKだったはずが、結局、今日の便は前便キャンセルとなった。 FAAの新しいセキュリティーの指針
その他のテレビ情報
各局の大見出し
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7時ごろ起床。毎度のごとく、テレビ。
未だ、海外の航空会社の飛行機は着陸不可能。 だんだんと、犯人に関しての情報が出くる。ハイジャック犯は4機全部で19名で、ほとんどがサウジアラビアかイエメンの名前だそうだ。兄弟やいとこなど、親族が多いらしい。国籍はUAEやエジプトという人間もいるが、本当かどうかは不明。 昨日あたりから、教会などでの追悼ミサがかなり行われている。今日はブッシュ大統領が追悼の日にしたために、ワシントンでは歴代大統領が出席して、公式(?)ミサが行われた。 このところ毎日、必要時以外はホテルの部屋に閉じこもっている。でも、あまりにも不健康的だし、気が滅入るので、ちょっと出かけることにして、フィッシャーマンズ・ワーフまで行く。 ケーブルカーはやはり事件のせいか、行列がかなり短い。 サンフランシスコ市内は、事件の日はほとんどの店が閉まっていたが、翌日からはほとんど平常状態に戻っていて、観光アトラクション(湾内クルーズなど)も運行されていた。 水族館を見て、散歩をして帰ってきた。 夕方になっても、まだ、海外の航空会社の飛行機は着陸の許可が出ていない。日航や全日空はどうしたんだろうか… テレビの情報
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朝7時起床。
テレビの情報
でも、少しづつテレビで普通番組が放送されるようになったし、番組中のコマーシャルも入るようになった。 朝ご飯のあと、バスで美術館に行く。遠い割には、いまいちだった。そのあと、科学アカデミーに行って、またまた水族館を見る。 今日はかなり気温が低い。トレーナーを着ていても寒いくらいだった。 夕方、またまたテレビ。
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朝起きると、WTCの行方不明者がかなり増えて、5097人になっていた。
今日も天気がいまひとつで、寒い。 タリバーンがアメリカに協力すると言っているとか、ビン・ラーデンがやってないと声明を出したとか、わけのわからん情報が飛び交っている。 周辺諸国は、アメリカに協力しないと、一緒に攻撃されるとでも思っているのか、どこも協力するという声明を躍起になって出している。 記者会見で、「FBIのブラックリストに載っているような人間がなんで自由に飛行機に乗れるんだ?!」という記者の質問に、交通省セクレタリーのノーマン・ミネタ氏がしどろもどろだったのがなんとも情けない。 昼頃、BARTに乗ってバークレーに行く。今日は日曜日なので、直通がないので、乗り換え。 人類学博物館に行ってみるが、思ったよりも小さいのでがっかりした。展示内容はおもしろかったけど… 夕方、ホテルにもどって、テレビをつけると、またまた行方不明者が増えていた。 米軍は着々と報復の準備をしている。
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ちょっと寝坊して8時半に起きた。
朝ご飯の後、MOMA(現代美術館)に行く。11時からだったので、近くの公園を散歩して、開館を待つ。 午後は、フィッシャーマンズ・ワーフから湾内クルーズに行く。今まで、サンフランシスコには2回ほど来たことがあったけど、一度もクルーズに行ったことがなかったので、ためしに行ってみる。 曇っていたし、船の上は風もあって、めちゃくちゃ寒かった。ゴールデン・ゲートブリッジも上半分がかすんでいた。 夕方部屋に戻って、テレビで情報をチェックする。
さすがに、6泊目で精神的に疲れてきた。なるべく昼間は出かけるようにしているが、やはり気分的に思い切り楽しめない。夜、よく寝られているのがせめてもの救いか…
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8時起床。
朝ご飯は毎度のごとく、ホテルのカフェ・スタンドでコーヒーとマッフィンのテイクアウト。栄養が十分に取れていないような気がする(カロリーは十分だけど…)。 トラムとバスでExploratoriumへ行く。あまり期待していなかったのだけど、かなりおもしろかった。いろんな科学法則が実際に体で体験できる博物館だった。3時間、みっちり楽しんでしまった。ひさしぶりに楽しかったような気がする。 今日で最後(のはず)。願をかけるわけではないが、最後の晩餐のつもりで、ちょっとこましなれストランに行く。 今まで、懐具合のこともあって、ホテルのデリのテイクアウトやファーストフードばかりだったので、久々のレストランでの食事。 イタリア+フランス料理だったが、めちゃくちゃ混んでいた。味はすごくおいしかった。値段もそれほど高くない。ひいきにしたいレストランだった。 テレビの情報
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ついに帰国の日!
少なくとも4時間前に空港に行くように!とテレビでも言っていたし、航空会社でも言われたので、朝5時50分に起きる。 荷物は夕べのうちにしてあったので、残っていたものだけ詰め込んで、チェックアウトする。 6時半のエアポート・シャトルに乗った。事件以来、エアポート・シャトルがかなり間引かれている。 朝早いせいもあって、道路も空いていて、20分で空港に着いた。 さてさて、どんなセキュリティーチェックがまっているのやら?! ???? 空港の建物に入るが、入り口ではなんのチェックもない。朝早いせいか、ひともほとんどいない。 航空会社のカウンターは…なんと!閉まっている。またなにかあったのか?と思ったら、単に早すぎてまだ開いていないだけ。どうしてぇ?!4時間前って言ったじゃんかぁ!! 8時まで待って、やっとカウンターが開いたので、チェックインする。ここまでは、今までとほとんど変わらない。 さてさてセキュリティーチェック。入り口におばさんがいて、ひとりひとりのIDとボーディングパスを見比べて名前をチェックしている。でもこれは、ほかの国の空港ならよくあること(シンガポールではゲートのところでやっている。)。 新しいX線機材はCTスキャンのような形をしている。これもなんなくクリア。前のおばさんが金属製の楊枝をかばんに入れていて、没収された。 でも…結局…何が変わったんだ?!腹が立つほど、あっけなかった。 ここまで、予想以上に速く進んだために、ラウンジで4時間、みっちり待つはめになってしまった。こんなことならもう少し寝られたのにぃ… 飛行機に乗り込むときにIDの再チェックがあるか?!と思ったらそれもなし。これで本当に強化されたのだろうか?!疑問だ… ともかく、帰れる!「2度と帰れないかも?!」(おおげさ!)と思ったこともあったけど、どうにか無事に帰れそう。 飛行機はほぼ定刻で、なぜか?と言うべきか、やはり!というべきか、かなり空いていた。
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ハイジャック犯に関しては、よくこれだけのことが短期間でわかるなあ!と思うほど、かなり多くの情報がすぐに出た。事件3日目にはすでに全員の名前を把握できていたし、米国内でどこに住んでいたなどの情報もあった。
ハイジャック犯のうち、少なくとも7人がジェット機の操縦技術を身につけていたと思われている。しかも、操縦を習うために、アメリカ国内の学校に通っていたというから驚き。ひとりで、何箇所もの学校に通ったものもいたそうだ。学校のなかには、なんと!空軍主宰の学校もあったとか?! ハイジャック犯の半分以上(両WTCビルに突っ込んだ2機に乗っていた犯人たち)がフロリダに住む、もしくは住所を持っていたそうだ。確かにフロリダは、航空機の免許をとりに、海外からも人が来る場所だから、犯人たちも紛れ込み安かったのではないかと思う。 犯人は33歳から20歳で、だれも独身だった。主犯格と思われるモハメド・アッタはドイツ、ハンブルグに長い間住んでいて、TUハンブルグ(ハンブルグ工科大学)で修士過程まで終えた、かなりの秀才だそうだ。 この他に米国内でバックアップした人間が少なくとも50〜100人はいると言われている。テキサス大学のレントゲン医師もそのうちの一人で、事件後、逮捕された。 この医師は、土曜日のサンアントニオ発の飛行機に、他3名と予約をしており、土曜日にもハイジャックが計画されていたのではないかという憶測を呼んでいる。帰りの便は1ヵ月後に予約されていたが、テキサス大学には休みの届け出がなにも出ていなかったそうだ。 さらに、火曜日のハイジャックは4機だったけれど、同じ日に、もう1〜2機のハイジャックが計画されていたらしい。このうちの1機はUA便で、機体不良でキャンセルになったために、難を免れたようだ。この飛行機にも4名のハイジャック犯が乗る予定だったらしい。 しかし疑問なのは、実行犯のうち、かなりの数がFBIのブラックリストに載っていたにもかかわらず、全米内を自由に飛行機で行き来できたということである。このようなことになった以上、FBIは故意に泳がせていたのでは?!と思われてもしかたがないように思う。 事件の背後には、ビン・ラーデン(日本ではラーディンと新聞などに書かれているが、アメリカではどう聞いても、ラーデンとしか聞こえなかったので、ラーデンと書くことにする。)という人物がいると、早くからアメリカでは報道されていた。 この人物はサウジアラビアの大富豪で、湾岸戦争以後、アフガニスタンに潜伏してテロ活動を指導しているらしい。 砂漠のなかに地下要塞基地を持っていて、核爆弾にも耐えられるとか、兵士100人と半年は立てこもることが出来るとか、コンボイでアフガニスタン中を日々移動しているとか、本当にいろいろなことが報道されていた。 奇跡的に助かった人々の話も毎日、新聞に載っていた。最初の飛行機がWTCに突っ込んで、火事が起こって際に、炎をかいくぐって、階下に逃げたその人は助かったけど、同僚で階上に逃げた人がいまだに行方不明だという話もあった。 最初のビルに飛行機が突っ込んだときに、もうひとつのビルでは、「こちらは安全です。」という放送が入ったそうだ。そのために、仕事にもどって、結局、犠牲になった人の数もかなりに登るらしい。そんななかで、J.P.モーガン社は放送を無視して、社員全員で脱出して、ほとんどけが人もなかったそうだ。 逆に、もう助からないと思って、手をつないで100階から飛び降りたカップルの話や、消火活動でビル内に入った消防士さんが多数、崩落の際に犠牲になった話など、本当に胸が痛い。 我々は結局、足留めされている間、一度も空港にスタンバイには行かなかった。空港はテレビで見る限り、かなり厳しいセキュリティーチェックをしているようだったので、その日の予約もないのに行くのは無謀か?!と思ったせいもある。 日本線は、月曜日あたりからは、実際はかなり空いていたようだ。帰国日、チェックインのときに、窓口のおばさんにも「一度もスタンバイにこなかったの?!」といわれたので、スタンバイにきていればもう少し早く帰国できたのは間違いないと思う。 それもそのはずで、旅行を取りやめにした人がかなりいるのだから、来る人がいなければ、帰る人もいないわけで、空いているのはもっともな話である。 しかし、市内のUAのカウンターでは、月曜日に聞いてたときも、ずっと満席状態だった。どう考えても、キャンセルの情報などが、アップデートできていなかったようだ。
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本当にショッキングなできごとだった。亡くなった方のことを思うと本当に悲しい。さらに、不謹慎ではあるが、あまりにも壮大な計画で、本当に舌を巻いてしまった。でも、理由がなんであれ、このような無差別テロは、やはりあってはならないことだと思う。
アメリカが報復戦争をはじめるとのことだが、果たしてどのように戦うつもりなのか?!相手が国家ではない、このような戦いはどのような形になるのだろうか?! ともかく、罪のない子供たちが巻き添えになることがないように祈りたい。 私、個人的には、アメリカという国、そして国民がこのような事態にいかに動くかということを、身をもって知ることが出来たので、決して無駄な1週間ではなかったと思っている。 最後に、心から、犠牲者の方々の冥福をお祈りいたします。
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