インド旅行 旅行記

出発の日は、朝、いつもどおり、電車で成田へ。ところがぎっちょん、通勤ラッシュにちょうど当たって、大変な目に会ってしまった。なにしろこの年まで、夫婦で電車通勤なるものをしたことがないのだ。というわけで、成田に行くだけでくたくた。今度から、午前便のときは、成田前泊を考えよう。それとも、成田をどっかに移すとか???!(爆)

かなり時間もかかってしまい、ラウンジで会う約束をしていたUさんに会い損ねてしまった。Uさん、ごめん…

JALのラウンジでやっと一息。しかし混んでいる。たしかにヨーロッパ線など、出発がかなり多い時間帯。

前のソファーに座ったおばさんは、「ラウンジでの携帯電話はご遠慮ください。」と書かれた案内板の前で、堂々とケータイ中!おばはん、どついたろか?!

飛行機は定刻だった。ビジネスクラスはかなり空いている。水平飛行に入ると、ミールサービス。どうも、日系の飛行機がいまいち好きになれない我々夫婦。今回もなにかあるたびに、ぶつぶつ言ってしまう。

一番私が声を大にしたいのは、水!食事中に、こちらから言わないと水をくれないのだ。米系では、デフォルトで水が置いていかれるのに…

最近騒がれているエコノミー症候群も、原因のひとつに脱水症状があるとか?ないとか?ならば、なぜにお客ひとりひとりに1個コップをもたせて、空になればついで回る、というふうにしないのだ?いちいち、ボタンを押して、CAに来てもらって…というのは、頼むほうだってやはり気兼ねする(私だけ?!)。安全上うんぬんなど、理由があれば仕方がないが、米系で出来るのに、日系では出来ないというのは、???である(そういうことは多々あるが…)。

ともかく、以上のようなことをCAに伝えた。そのせいか、そのフライトに限り、CAが何度も水を持って回っていた。見ていると、回るたびに、かなりの数のひとが水をとるんだよね…やっぱり。みんな頼むのを遠慮しているor面倒だから我慢しているんだと(勝手に)解釈した。

最近老眼で、機内で映画などを見るとめちゃくちゃ目が疲れるので、ほどほどにして、ぼ〜っとしてすごした。途中、ヒマラヤの山々がきれいに見えた。そうかあ…高度1万メートル、あっちは9000メートル弱、いい勝負しているわけだ(なんのこっちゃ?)。

着陸前に見えたインドの町並みは、ちょっと見、イスラム教国の町並みに似ていた。明らかに、乾いた大地。さてさて、なにが待っているのやら?

 

ついてまず思ったのは、そんなに暑くない。もっと暑いのかと思っていた。日本から着たままできたセーターでも平気だった。

入国して、荷物を受け取って、いよいよインド!

まずは両替。空港を出る前にしておいたほうがよいだろうと、最初の両替やを選ぶ。率はどこもほとんど同じ。1万円を両替して、ついに!人々のまつロビーへでた。

おお!インド人ばっかりだ!そりゃそうだ!

なんだぁ、かんだぁと話し掛けてくるやからを、左右に追いやって、プリペイドタクシーのカウンターへ行く。

なにしろ、ロンプラに、「空港でしなければいけないことは、プリペイドタクシーを探すことだ。しかも、「正しい」プリペイドタクシーを!」と書かれていたくらいで、かなりいろいろ問題があるらしい。

たしかにカウンターのまわりにも、怪しげなおやじがいっぱい。

我が家の外渉担当はいつも私である。夫は私が一緒のときには、財布を持ってすらいない。というわけで、群がるおやじをもろともせず、カウンターへいくのは私。

インド人も、私の殺気に臆したか?行く手に自然と道が出来る。

どうにか無事に、タクシーチケット(?)を手に入れて(思ったより安い。110ルピー)、次は乗るべきタクシー本体を発見せねばならぬ。書かれているのが、どうやらナンバーらしいので、そのナンバーのタクシーを捜すと、なんのことはない、一番手前に止まっていた。

これじゃ!と指差すと、どっからともなくおやじの手がでて、荷物をトランクに載せてくれる。我々が乗り込むと、案の定、「バクシーシ!」。おっさん、ポーターのつもりやったんか。。。知らんぷりしてよそを見る。

タクシーの運ちゃんは、インド人には珍しく(偏見?)小太り。タクシーでは、運転手がかなりいろいろネゴろうと、話し掛けてくると、どのガイドブックにも書かれていた。でも、この運ちゃんは思ったよりも静かだった(と思う。というか、初めてのインドタクシーなわけで、比較対象がなかったのだ。)。それでも、途中からなんだかんだ言うので、「もし、君が直接シェラトンホテルに行ってくれたら、我々は君にお礼をしたくなるだろう!」言ってやると、黙って、(ちょっと)スピードが上がったような気がした。

しかし、実際到着して、チップをやろうと思ったら、あまり細かいお金がなくて、結局、チケットと15ルピーしかあげられなかった。運ちゃんは、かなりむっとしている。ごめんね。でも日本人も(結果的にではあるが)だますこともあるんだって…

シェラトンは別世界。部屋は、多少ぼろけているところもあるが、ほとんどのものがそろっていた。ひとまず、シャワーをして、軽く夕飯を食べにいくことにした。

さすがに町に出る気もなかったので、ホテルのレストランで、(なぜか)タイ・カレーを食べた。ビールが飲みたかったのだが、まわりでだれも飲んでいる人がいなかったので、もしや…ないのか?と(確認もせずに)あきらめてしまった。

この日はこのまま寝た。夜中に夫のいびきで起こされるまでは…

 

次の日は、結局、午前中どこにも行かずに部屋で過ごした。というのは、たった3時間の時差にもかかわらず、朝、変な時間に目がさめて、いまいち頭がすっきりしない。夫のいびきのせいかもしれん…

でも夕方、タクシーで町まで買い物に行ってみることにした。

さてさて、またタクシーである。

今度は、ホテル待機のタクシーなので、問題もなさそう?!「町の真中まで行って、1時間くらい待っててもらって、もどってくるといくら?」と聞くと、300+メーターだと!ばっかもん。というわけで、行くだけでいいと言うと、「街中ではタクシーつかまらないよ」だのなんだの言っている。

まあ、ともかく行こうと、行きたい場所を運ちゃんに言う。

行ったのは、みんながエンポリウムと呼ぶ政府公認のみやげ物や。町の中心のコンノートプレイスの近くにある。

思ったよりも遠かった。着いて払おうとすると、運ちゃんがしつこく「待っている」と言う。「わしら、そんなに払う気ないで!」というと、「じゃあ、280でいいから。」ときたもんだ。

まあ確かに、まわりをみると、タクシーを捕まえるのはちょっと大変そう?!(安きに流れる。)

というわけで、まんまと運ちゃんの言う通りになってしまった。まあ、280まで値切れたからいいか…

エンポリウムはなんともはや…いろんなものがごっちゃごっちゃと…何屋敷だ?!

入り口に金属探知機のゲートがある。だれが通っても鳴りっぱなしだった…

夫がダンシングシヴァの像がほしい!というので、いろいろ見たけれど、適当な大きさのものが見つからず、結局買わなかった。ガネーシャの像はたくさんあるのだが、シヴァはあまりなかった。というのも、ガネーシャは繁栄の神様なので、みんな飾る=需要があるからとか?まねきねこみたいなものだ?!

1時間くらい見て出てくると、ちゃんとタクシーは待っていた。あたりまえか…まだ払ってないんだから…

そのままホテルに帰ってくれと言うと、また、なんだあかんだあと始まる。こっちは聞いちゃいない。結局、強引にどっかまで行くほど、根性がなかったようで、そのままホテルに帰ることが出来た。

そのお礼(?)といってはなんだが、300ルピー払うと、喜んでくれた。

夕飯はホテル一番のレストラン、ブハラで食べた。いや〜、タンドゥーリってあんなにうまいもんだとは思わなかった。感動もの!しかもこのレストラン、なんと手で食べないといけないのだ。これがまた不思議な感じ(なんか、悪いことしているような。。。)ではあるが、楽しかった。

ビールに遭遇もできたし、めちゃくちゃうまい料理だったし、満足のいく夕飯だった。ただし、値段は日本並!

 

次の日は、ホテル主催のツアーでアグラに出かけた。このツアー、なんとひとり$95。たっけぇ〜!と思ったのだが、時間もないし、(最近では)自分で行く根性もない。

しかし、後で考えると、(我々の感覚では)かなりお買い得だったと思う。かなりこぎれいなレストランで3食事付き、ちゃんとエアコンの効いたバス、ガイドもそこそこ、見所3ヶ所の入場料込み!なのだから…

この入場料が曲者!なんと外国人ツーリストは、ほとんどどこも一律$10!なのだ。つまり3ヶ所で$30!ガイドブックには10ルピーと書かかれていたので、つい最近始まったようだ。しかし、10ルピーと$10では、さすがの私だって違いがわかろうというもんである。

その日は、総勢11名のツアーだった。

ホテルを出発して、ひたすら南東に走る。インドではいいほうの部類に入るであろう道ぞいに、人々の生活が見える。

なんともはや!圧倒されっぱなし!

時間が時間だったせいか、あちこちで座り込んだおじさん。みな一様に手に、水の入ったペットボトル。

おお!これがうわさに聞く、なにですか!と言っても、まじまじと見るようなものではない。

道路の中央分離帯に、所狭しと並べられた「うんこディスク」。人々の大事な燃料だそうだ。

どこにでもど〜ん!といる神様のお使い=うっしーさん。よけるのも大変。

 途中、やけにきれいなレストランで、朝ご飯休憩があり、その後1時間くらいでアグラに到着した。

さてさていきなり、今回の目玉、タージ・マハル観光である。

いや〜、本当にあるんですねえ。実にきれいだ!真っ白なドームが日の光に光って…

それでも、聞けば、最近近くに化学工場ができて、その排煙のせいで、酸性雨が発生し、タージ・マハルの色がだんだんと黄色くなってきているとか?!昔はもっと真っ白だったそう。

内部には、棺が2個しかない。なんとも贅沢なお墓である。内部の彫刻や石を埋め込んだ装飾は本当に細かくて美しかった。

建物などは、すべてが対称につくられている。タージ・マハルに向かって、右側(あれ?左側?)にモスクがあるが、対称性を保つために、逆側にも同じ形の建物を(用もないのに)つくったのだそうだ。

対称でないのはただひとつ。シャー・ジャハンの棺。タージ・マハルの中心線上に、ムムターズの棺が置かれているところまでは対称なのだが、その横にまさにとってつけたように、シャー・ジャハンの棺が置かれているのだった。

シャー・ジャハンはヤムナー川の対岸に、黒いタージ・マハルを自分用につくろうとしていたらしい。でも完成しなかったので、結局、奥さんの横に居候となってしまったのだそうだ。

次はアグラ城。

こっちもムガール朝の代表的な建築物ということで、内部の装飾がすばらしい。ここは外壁が、赤砂岩でできているので、別名レッド・フォートとも呼ばれている。

シャー・ジャハンが晩年ここに幽閉されて、毎日タージ・マハルを見ていたとガイドさんが説明してくれたが、確かに遠くにタージ・マハルが見えた。この日は天気が良くて、ヤムナー川沿いの風景も美しかった。

このあと、アグラ・シェラトンでお昼ご飯。ここもまた外とは別世界。日本人の団体さんも食事をしていた。

聞けば、アグラのシェラトン利用で1泊2日のようなツアーもデリー・シェラトンで手配が可能だそうだ。ゆっくりと2日かければ、郊外のファンテープル・シークリー(ここも世界遺産!)にも行けたのになあとちょっと残念だった。

このあと、案の定、みやげ物屋めぐりが付いていた。アグラ城やタージ・マハルで見たような、色とりどりの石で大理石を装飾をしてある皿だの小箱だのを、生産&販売している店に連れて行かれた。確かにきれいだけど、高くてとても手が出なかった。いっしょのツアーのアメリカ人のおじさんは$200のお皿を2枚も買っていた。アメリカって、ほんとに景気がいいんだねえ…このあと、じゅうたん屋にも行ったが、これはさすがにだれも買わなかった。

これでツアーは終わりで、一路デリーへ帰る。

帰りも行きと同じレストランでお茶+トイレ休憩があった。デリー市内に入るあたりで、夕方のラッシュにぶつかったために、行きよりも時間がかかったが、7時すぎには帰り着いた。

強行軍のツアーだったけど、めぼしいところは見られたのでひとまず納得。最初、高いなあと思っていた料金も、結構お徳だったかも?というのが結論。

 

次の日はいよいよ国内線で移動。カルカッタの南の方にあるブバネシュワルという町まで飛行機で飛んで、そこからプリーという町に行くつもりだ。プリーはリゾート地でもあるし、世界遺産コナラクへのゲートシティーでもある。

国内線はどんなだろうと戦々恐々だったが、思ったよりもちゃんとしていて、びっくりした。2時間のフライトはちゃんと(腐っていない)機内食が出たし、なにより驚いたのは定刻だった。

ブバネシュワルの空港に降りてまず思ったのは、暑い!ということ。デリーは朝夕かなり涼しくて、半袖では寒いくらいだった。なのに、ここはかなり暑い。あまり緯度も変わらないのに、内陸と海岸線ではこんなに違うのか?

ブバネシュワルの空港でプリーまでタクシーをチャーターした。小1時間かかるらしい。

プリーは、町の真中にやけに広いグランドロードというメインストリートがあって、そこに市場が立っている。グランドロードの端にはジャガンナート寺院がある。たくさんの人が参拝にきていた。

プリーでの宿は、プリーからまたまた7Kmくらい海沿いに走ったリゾート(?)ホテルだった。この日は到着後、ホテルでゆっくりして終わった。

滞在3日目に、いよいよコナラク。ホテルからツアーで行く。やはり小1時間かかった。

コナラクは13世紀に、ある王様がイスラム教徒との戦いに勝ったことを記念して、太陽神スーリアに奉納した寺院である。寺院全体がスーリアの馬車をかたどっているので、寺院の各側に6個づつの車輪がついている。

12個の車輪が一年をあらわしていて、1個1個の車輪は時計にもなるそうだ。

車輪や寺院の壁に施された彫刻は、かのカジュラホについですごいというミトゥナ像(男女交合像)で、

コナラクは寺院の前の参道にみやげ物屋がたくさんあって、観光地観光地しているが、ちょっとほのぼのした雰囲気もあって楽しかった(なにも買わなかったけれども…)。

 

プリーには約一週間滞在した。滞在中はビーチに行ったり、プリーの町の中を散策したり、ちょっと離れた芸術村(この辺独特の細密画を書く人々が住んでいる村)に行ったりしてすごした。

ビーチは水はなかなかきれいだけど、いろいろ浮かんでいて、ちょっと泳ぐ気にはなれなかった…でかい亀の死体もたくさんころがっていた。漁船のスクリューに巻き込まれてしまうのだとか?!

プリーの町はジャガンナート寺院のせいもあって、なかなかの賑わいだった。ビーチ沿いにはみやげ物屋もたくさんあった。生まれて初めて、「焼き場」を見た。塀もなにもなく、観光客がいっぱいいるみやげ物屋のなかにあった。中が丸見えだったが、これから焼こうとしている薪のあいだから、足が出ていたりして、ぎょっとなってしまった。

でも思えば、死というものも、人の生活の一部でしかないのだ。そう思うと、かえって自然な感じもした。

大都会(最初はそう思わなかったのだが、プリーからもどると、めちゃくちゃそう感じた)デリーでは見られない町の風景をプリーは見せてくれたように思う。

 

ふたたびデリーに戻って、最後の日は、半日タクシーをチャーターして、クトゥブ・ミナールとフマユーン廟を見に行った。どちらも世界遺産である。

最初にクトゥブ・ミナールに行ったが、ここで問題(?)発生。我々が持っていたガイドブック(ロンプラ)には入場料が10ルピーと書いてあったのだ。それが、なんと外国人観光客は$10!!!!になっていた。相当分のルピーで支払ってもいいわけだけど、てっきり10ルピーだと思っていたので、持ち合わせが足りるかどうか?このあとフマユーン廟にも行きたいが?!

結局、有り金集めれば、どうにか2ヶ所x2人分は足りそうだ。たとえフマユーン廟の入場料が$10になっていたとしても…

しかしなあ…いきなり$10まで値上げしなくても。。。

さてさてクトゥブ・ミナールであるが、思ったよりも高い。てっぺんはデリーのスモッグにかすんでしまいそうだ。

横には、デリー最初のモスク跡がある。このモスクの建築には、もともとここにあったヒンドゥー教の寺院の石がそのまま使われたために、柱にヒンドゥー教の像が残っている。

ゆっくりと時間をかけて見学して、次のフマユーン廟へと向かった。

フマユーン廟もやはり$10に値上がりしていた。これですっからかんになってしまった。ここに来たタクシー代はとってあるのでいいけれど、空港までのタクシー代のために、両替しなくてはならくなってしまった。

フマユーン廟はその名前の通り、フマユーンのお墓である。これもでかい建物なのに、中に棺が何個かあるだけで、じつに贅沢である。赤い砂岩と白い大理石の対比が美しい。

乾季なので、庭にはほとんど植物が植わってなかった。カリカリに乾いた土しかない。でも最近、昔のような緑豊かなフマユーン廟をよみがえらせようと、木や花を植える計画があるそうだ。次に来るときは、水と緑にかこまれたフマユーン廟になっているかもしれない(なってないかもしれない。インドだから…)。

 

これで今回のインド旅行のすべての観光が終わった。ホテルにもどってシャワーをして、夕方の飛行機まで、荷物を詰めたりしてすごした。

 

初めてのインド。たしかにすごい!国だった。(我々にしては)かなり豪勢な旅行だったので、比較的きれいな部分しか見ていないのだと思う。それでも十分なインパクトがあった。

でも、日本も戦後間もないころは、こんな感じだったんではないだろうか?私は田舎の出身なので、小さいころ、自分のうちのまわりに、今のインドに似たような風景&暮らしがあったような気がする。

というわけで、ちょっと懐かしいような気分にもなった。

 

結論として、また行きたいと思う。「好き」という感じとはちょっと違う気がするが、「興味深い」には違いない。どうなるか?と思っていた夫のおなかも、私が担いでいったミネラルウォーター(6リットルですよ!6リットル!)のおかげで大丈夫だったし、なにより、個人旅行でも十分にいける!ということがわかったのが、最大の収穫だった。

「はまり」ました!

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